福岡は香椎の地にひと組のご夫婦をお祀りする神社があります。全国に16ある勅祭社のひとつ、香椎宮です。[Eカシヒノミヤ]の“カシヒノミヤ”は、香椎宮創建当時の呼び名です。“E”はelectronic(電子の)、empty(空白)、essence(本質)など様々な言葉の頭文字を意味します。香椎宮でお祀りする夫婦神を由来にして、「夫婦」のキーワードを軸に、誰もが自分らしく生きられる世の中を、そして次の世がより良くなるためのヒントを探ってみたい。[Eカシヒノミヤ]は、そのような想いから、たくさんの祈りや思想が集まる神社のような、インターネットの中のよりどころを思い描いてはじまりました。
「夫婦」には生まれ育った環境が違う他人同士がお互いを認め合い、新しい命を未来へとつないでいくエネルギーが働いているように思われます。社会は無数の他人によって構成されています。だとしたら、「夫婦」とは、いちばん小さな「社会」なのかもしれません。
まずは、香椎宮でお祀りするご夫婦、仲哀天皇と神功皇后のお話から始めましょう。
仲哀天皇八年(西暦199年)、英雄ヤマトタケルの子、仲哀天皇は強く美しい神功皇后と夫婦になり、香椎でひとときをお過ごしになりますが、翌年のある日、神の怒りにふれて崩御なさいました。神功皇后は天皇の代わりに男装をして勤めを果たしつつ、愛する夫のため香椎の地に祠(ほこら)を建てて祈りを捧げました。
やがて時は流れ、神亀元年(西暦724年)、永久に愛する夫の傍にいたいと願った神功皇后のお宮も、仲哀天皇を祀る香椎の地に築かれることに。ご夫婦が再び一緒になったこの地はやがて「香椎宮」と呼ばれ、今なお多くの人々に親しまれているのです。
仲哀天皇と神功皇后。おふたりの物語を紐解くと、「夫婦」の深い絆と愛情が 見て取れます。けれども、お互い他人でありながら、強く相手を求めあう関係 ──そもそも「夫婦」とは、一体何なのでしょう。
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現代のような「夫婦」という概念が浸透していなかった遥か昔の日本の神話には、様々な男女のあり方が記されています。お互いに好意を抱き、誘い合いながら交わって国土を生んだ「国生み神話」のイザナギとイザナミ。ヤマタノオロチ退治の報酬にもらい受けた美しいクシナダヒメを出雲に囲い、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と和歌に詠むようにヒメを独占しようとしたスサノヲ。そして、そんなスサノヲの娘であり、荒ぶる熱情の持ち主として後妻嫉妬(うわなりねたみ)を表現したスセリヒメと、その想いに打たれて共に盃を交わし、神話の上で初めて婚姻の儀式を行ったオオクニヌシ……。日本の神話には、男女、または夫婦の間で繰り広げられる原始的な愛情の交換と、相手を思うが故に生じる怒りや悲しみ、恐れ、嫉妬、嫌悪といった人間的な感情やエネルギーが豊かに描かれています。
神話の世界と比べると、現代の「夫婦」を取り巻く要素はずいぶん多様化しています。婚姻制度のあり方や子どもを育てる環境、社会契約を結んでいないパートナーやLGBTQも認知され始め、かつての「夫婦」に関わる要素は、時代とともにこれからも変化し続けます。さらにはヴァーチャルの世界やAI、トランスヒューマニズム、クローン、宇宙生命体の存在まで、他者に対する概念が広がっていくことでしょう。
それでも、人を愛する情熱や、共に何かを生み出し、共に人生を歩みたいと願う気持ち──ひいては、多様化する社会の中で互いの違いを認め、受け容れる、他人を思いやる心こそが、社会を形づくる「核(コア)」なのだと私たちは考えます。
日本古来の「神道」は実にポジティブです。終末思想はなく、物事は常に良くなっていくという発想に基づいています。 神道の用語には、生きている今この瞬間こそが最良の状態なのだという「中今」の観念と、人生の節目において次に来るであろう成功を予め祝うことでそれを確約する「予祝」という概念。そして、「中今」の精神を持ち、「予祝」の習慣を粛々と繰り返すことによって、常に新しく若々しい「常若」な世を育んでいこうという態度があります。
『続日本紀』の宣命に見える語。神道思想に依って世界の永遠の好転を確信しつつ、過去・現在・未来と続く時間軸の中で、常に「今」のみを生きる各々のその時空を至上のものと価値づける。
古くは豊穣を祈る呪術的習俗。農作の節目に行われる特色ある予祝行事が各地域に残る。あらかじめ期待する未来を模擬的に表現し祝うことで、その通りの未来を得ようとする。
常に若々しいさま、また、常に若々しいこと。世界の永遠の好転を確信しつつ「今」を至上としながら(中今)、訪れる未来を期待することを辞さない(予祝)態度、また、その態度の結果の事物。
時には、向き合う現実を複雑で難しいものと辛く受け取ることもあるでしょう。しかし知恵と力を持って、シンプルにポジティブに前を向き続ける。そんなタフなエネルギーそのものが、先人たちの残した「常若」という言葉に込められているともいえるでしょう。過去から未来へ、こうした「常若」な世が連綿と続くことが神社の祈りなのです。
そして、この世に生を受ける子どもたちもまた、「常若」の象徴といえるでしょう。これまでの文明が重ねてきた叡智と健やかな肉体を子どもたちに託すことで、「常若」の世は築かれます。わが子を産み、育てる夫婦はもちろん、一人で子育てするシングルマザーや養子縁組・里親、さらに地域で子育てを支援している人々や、わが子はいなくとも子どもは未来の宝だと思う人々も。こうした人々の想いこそが、「常若」の世界を創っていくのではないでしょうか。私たちはそう考えています。
[Eカシヒノミヤ]をきっかけに、これからの「夫婦」のあり方について、人と人との気持ちのいいつながり方について、そして世界が平和になる方法についてみなさんと一緒に探ってみたい。神社にお参りに行くように、たくさんの人の祈りや想いが、[Eカシヒノミヤ]に集いますように。