INTERVIEW
INTERVIEW
香椎宮の起源は仲哀天皇九年(西暦200年)。主祭神は、かつて香椎でご夫婦としてひとときをお過ごしになった、仲哀天皇と神功皇后です。
仲哀天皇の崩御の際、神功皇后は愛する夫のために香椎に祠をお建てになりました。
そして、長い歳月が流れた後も、愛する夫のそばにいたいと自らのお宮も香椎の地にお築きになったのでした。
本殿の屋根の梁を支える「蛙股・蟇股(かえるまた)」という部材には、ハート型をした「猪目(いのめ)」と呼ばれる文様が見て取れます。これは、古くから魔除けのために使われている文様で、ご夫婦が眠るお宮とこの香椎の地を災いから守らんとする深い想いが伝わってきます。
互いを思いやり、深い愛情で結ばれたご夫婦がお鎮まりになる本殿にお越しいただいたのは、同じく深い愛情と信頼で結ばれている九州電力特別顧問の松尾新吾さんと妻の英子さん。
ご結婚から50年以上、今も仲睦まじく、共に人生を歩み続けていらっしゃるおふたりに、お相手への想いや夫婦円満の秘訣についてうかがいました。
──まずお聴きしたい質問があります。夫婦って何でしょう?と問われたら、なんとお答えになりますか。
新吾さん:私はね、男と女はセットで成立するものだと思う。結婚というのは人間がつくった制度ですが、生物には雄と雌があり、それぞれ種族や子孫の繁栄にまつわる役割を持って生まれてくるわけです。だから、自然に男と女は一緒になって、自然に子孫をつくっていく。それは意気込まなくても良くて、ごくごく自然なことなのだと思いますよ。
英子さん:そうね。夫婦って何だろうって考えたこともないですね。自然とそうなっているだけだから。
新吾さん:世界中に色々な夫婦の形があるけれど、私は一夫一婦制の方がいいんじゃないかと思います。一夫多妻制は、子孫をたくさん増やすとか、そういう機能は十二分に果たせるかもしれないけど、女性の立場からしたらイヤでしょう。一夫一婦制は、男性も女性も個々が1人の父親として、1人の母親として生きられる、それが子どもにとっても良い。とても意義のある形です。
──ご結婚なさったのは昭和42年2月10日ですね。おふたりの出会いについて教えてください。
新吾さん:私が九州電力に入社したのは昭和38年。その翌年に家内が同じ営業所に入社したんです。いわゆる職場結婚ですね。最初の配属先は佐世保営業所でした。当時の営業所には200人くらい社員がおりましたが、私も家内も事務屋でしたので、所属する部署は違っても顔を合わせる機会は割と多かったのです。だからお互いに自然とひかれあったのかもしれません。
英子さん:初めて会ってから3年目──私の21歳の誕生日に結婚しました。まわりの友達と比べても少し早く結婚しましたが、気にしませんでした。当時は日本も戦争を終えて経済復興を遂げていた時代。明るくて、将来に対してみんなが夢を持って生きていた感じがありました。
新吾さん:私が勤めていた九州電力も使命に燃えていましたよ。私自身、各地に電力を届けるぞ、という思いで電柱を建てるための用地交渉を担当しておりました。難色を示す地主さんを何とか説き伏せて承諾を得る。国のため、社会のためという熱い想いがなければ成し遂げられない仕事でしたね。