「私っていちいち日本人ぽいな、日本人以外の何者でもないんだな」って、気づいたんです。

──美術大学では油絵科を専攻されていた長浦さんが、水引を扱うようになった経緯を聞かせてください。

私、油絵が向いてなかったんです(笑)。油絵って乾くまで時間がかかるから、次の色を乗せるには乾くのを待たないといけない、でも、待てない(笑)。濁った色の絵になることが多くて。在学中に作家としてのアイデンティティを見つけることも出来なかった。次第に油絵の具には拘らずに、色んな「素材」の個性を生かした表現に興味を持つようになって行きました。

──そんな中で水引に出会ったんですか?

いや、単純に日本文化には興味があったけど、当時はまだそこまで水引を意識していませんでした。就職しないと世の中のことが分からない、そう思っていたタイミングで、とあるご縁である企画メーカーを知り、この会社なら油絵を学んだ経験も活かせるから、ということで水引を扱う商品開発デザイナーとして就職しました。水引を意識したのは、パリでの経験が原点ですね。

──パリにはお仕事で?

はい。一年間、デザインの勉強と、水引を知ってもらう活動のためにパリで過ごしました。ある日、食料品店のレジに並んでいたら、私の前にいる現地の男の子がレジを通す前のチョコレートの封を開けて、食べだして。びっくりして(笑)。店員さんも食べかけのチョコをレジにピッて普通に通したんです。あとで友人に話したら、「結局は買うものだから、レジを通す前に商品を食べても大丈夫だよ」と言われたけど、いくらフランスとは言えども私には出来ないな、文化の違いもあるし、ばちが当たるというか、何か悪いことしている感覚が私の根っこにある。私っていちいち日本人ぽいな、日本人以外の何者でもないんだなって、気づいたんです。

──パリで異文化を体験することで、自分が日本人だと気づかれたんですね。

月並みかもしれないけれど、そうですね。それに私、幼稚園から使ってるハサミをずっと捨てられなかったりと、モノに対しても、いてくれてありがとうっていう感覚があるんです。八百万の神、日本ではモノにも神が宿るって言いますよね。そういう日本人の精神的な部分が私の根底にある。そんな日本人である自分が改めて水引で表現することには意味があるのかな、って。

──その後、水引デザイナーとして独立されたんですね

肩書きは、当初水引アーティストとか、水引研究家とか、色々考えたんですけど、水引デザイナーで落ち着きました。

──当時は珍しかったんでしょうけど、今や涼やかな素敵な肩書きです。そのイメージも長浦さんがお作りになったんでしょうね。

ありがとうございます。色々経験したので、油絵も今の方がうまく描ける気がしますよ(笑)

私が作るけど、使う人の思いがこもって初めて完成する。

──ところで、水引デザイナーのお仕事ってどういったものなんでしょうか?

「水引香椎宮」のような一点物の作品を作ること、それから書籍などもあります。また、私自身のブランド商品や、他社ブランド商品の開発のお手伝いもさせて頂いています。クライアントさんやお買い求めになる方の要望を解決するものを水引で作ることが私の仕事だと思っています。それが水引デザイナーですね。

──けれど長浦さんの商品には、デザインされた製品というだけでなく、美術大学の油絵科出身ならではのアートごころのようなものも感じます。

優等生なものになりすぎないように、「なにこれ面白い」っていう心地よい違和感を忍ばせることは意識しています。もちろん基本に沿ったデザインがいい場合もありますし、クライアントさんらしさと自分らしさのバランスが大事ですね。
商品を作る時もそうですが、特に「水引香椎宮」のような一点ものを作るときには、感覚の余白のようなものを残そうと考えています。水引アートと言われるものの中には、間近で観たくなる超絶技巧のものもあるけれど、私は作品に観るひとの想像力の余白を残しておくことを大事にしています。観るひとの想像力や思い出が足されて、「あ、面白い」、「楽しい」、と思われるような作り方をしています。それがアートの要素なのかも。見た人の思いが作品に入って来て、融合してくれるような。商品も同じで、私が作るけど、使う人の思いがこもって初めて出来上がる。以前は、私が作れば完成だ、と思っていました。