対談|2021.11.13 「人間共生システム・九州大学 飯嶋秀治 × Eカシヒノミヤ 「共」と「生」を考える」-前編-

1 「共生」というワードの歴史について(飯嶋先生解説)

# 共生:ぐしょう

「浄土に共に生まれ変わる」仏教用語
生物学用語symbiosis:一緒にいることで互いにとって利益のある関係
symbiosis:共生、の翻訳語になる(大正末期〜昭和初期)

# 椎尾弁匡

「共生」をリデザイン 共生会 植民地政策に使用
太平洋戦争時にナショナリストに 共死共生 沖縄 悲惨な言葉に

# 浄土宗

椎尾弁匡 言葉を言い換えた 異なった民族でも共に生きる
関東大震災以降ナショナリスティックになって、アメリカやヨーロッパと一緒に生きられるか!という話
軍国 共に生き共に死ぬ
バブルが弾けて生きにくくなった時に、共生がまた引っ張り出されたが、歴史的背景を知って扱いにくくなった

# 60年代 管理社会以降

「共生」が再度使用される様になっていく
竹内敏晴 や、井上達夫らが共生を引っ張り出してくる
国会図書館 1992年以降共生が増える バブルがはじけた後
ギスギスした関係から別の関係を求めた

# 今論じられる「共生」の五大領域

人間と人間 移民族(先住民・マイノリティー)との関係
障がいとの関係 社会的男女間の関係
機械と人間
機械と生物

歴史に見る「共生」の多様な解釈

木下:飯嶋先生は「共生社会学」の研究をなさっています。「共生」というワードは歴史のどのあたりから出てきたのでしょう。

飯嶋:「共生」という言葉は歴史上で度々浮上し、時代背景によって意味合いも全く異なります。日本語の歴史で言うと、もともとは、浄土教に「浄土に共に生まれ変わる」という教えがあり、そこからきた仏教用語が「共生」(ぐしょう)です。その後、近代になって仏教学者であり浄土宗の僧侶でもあった椎尾弁匡(※1)が『共生』(ともいき)という雑誌と「共生会」(きょうせいかい)を創ったとされ、「異なる民族でも共に生きよう」と主張しました。ところが関東大震災以降、ナショナリスティックな風潮になるとこの呼びかけが反動的になっていきます。また、太平洋戦争中は「共に生き、共に死ぬ」というイデオロギーとして使われたこともあります。

木下:なるほど。解釈がまるで違いますね。

飯嶋:戦後、再び「共生」が頻繁に使われるようになったのは、60年代以降の管理社会になってからでした。演劇家の竹内敏晴(※2)、法哲学者の井上達夫(※3)らが「共生」をクローズアップするようになりました。そして1991年以降、バブルがはじけた後に一気に「共生」という言葉を人々が使うようになります。バブル経済がはじけた後なので、ギスギスした人間関係から別の関係を求めたのだろうと思われます。
が、浄土教からの淵源については、戦時中の使われ方など歴史的背景を知ると徐々に使われなくなったという側面もあります。こうして、現在の日本では「共生」は日常会話に出てくる言葉にはなりましたが、具体的な対人関係で使われる言葉にはなっていないですね。『これから僕と共生していこうよ』なんて言いませんものね。その辺りには、もともとこの言葉が仏教の漢語から来て和語としてなじみにくい面が出ているのかもしれません。

木下:海外ではいかがでしょうか。

飯嶋:色々な淵源がありますが、今のような意味で使われ始める1つの起源には1960年代にアメリカでウーマンリブ(現在のフェミニズム)が台頭した頃、「living together」というワードが浮上しました。従来の結婚制度をはずれて男女がどうやって暮らすかという議論が出たあたりから、「living togetherとしての共生」がクローズアップされました。パートナーシップとしての共生ですね。この頃から男女の結婚が当たり前ではなくなりましたね。

木下:翻訳される時に色々な意味が加わって、多様化していった言葉でもありますよね。その1つが、生物学用語の「symbiosis(シンビオシス)」。翻訳すると「共生」と訳されますが、調べてみると、一緒にいることで互いにとって利益のある関係を表すようですね。

飯嶋:その言葉は1960年代よりもはるか前の1620年代に使われていますね。その意味ではもともとは自由貿易の文脈で使われていたのが、のちに異種の生物同士の相互利益的関係を生物学に転用され、リン・マルグリス(※4)の研究から細胞のレベルでの「共生」、という意味に至ります。まったく別系統の生物がわずかな確率ではあるものの、共同で生きてゆくことがわかり、これが生命のひとつの進化の在り方(共生進化)なんじゃないか、という説ですね。

木下:まったく別系統の生物同士が共同で生きていく、それが進化なのではないか、という仮説が面白いですよね。

飯嶋:人間と人間においては「移民族同士の(先住民・マイノリティー)関係」、「障がいとの関係」、「社会的男女間の関係」。これに加えて「機械と人間」、「機械と生物」の関係性が、今論じるべき「共生」の五大領域だと考えられています。

※1 椎尾弁匡(1876-1971)は浄土宗僧侶であり、政治家であり、学校長でもあった。彼が学校長を務めてた東海中学校からは思想家の梅原猛や建築家の黒川紀章がおり、いずれも戦後に共生の理念を広めた人物たちである。

※2 竹内敏晴(1925-2009)は演劇家であり、身体を中心にした発声のレッスン(竹内式レッスン)で著名になった。自伝的主著『ことばが劈かれるとき』で、身体と言葉の共生について論じている。

※3 井上達夫(1954-)は東京大学の法哲学者。リベラリズムの立場から『共生の作法』を著わし、共生=convivialityと共棲=symbiosisを分け、前者を人間世界の変更可能な関係、後者を生物世界の変更不可能な関係とした。

※4 Lynn Margulis(1938-2011)はアメリカの細胞生物学者。リン・マルグリス&ドリオン・セーガン1988『ミクロコスモスー生命と進化』田宮信雄訳 東京科学同人などで、本文に述べたように、偶然発見された異系統の細胞内共生とその進化論への寄与について詳述した。