2 里親制度の拡張

先崎:里親とは子どものお世話をすることで、その子どもの家族そのものをサポートする役割があるとおっしゃいました。里親制度の現状について教えていただけますか。

田北:先ほどもお話ししたように、里親は、主に家族の外側から支えていく存在です。あくまでも、一時的に支える存在。これまでは預かる子どもの上限が18歳までと定められていましたが、昨年(2022年)に児童福祉法が改正され、2024年4月から、その子の自立具合に応じて、年齢の上限が撤廃されることになっています。
里親ショートステイは、家族を支えていくために、養育里親が1日〜数日間子どもを預かるという取り組みです。その他にも、短期間、家庭環境で預かる取り組みとして、ふれあい里親・お盆里親などの制度がある自治体もあります。お盆里親等は、一般的には養育里親を指すのではなく、児童養護施設で家族と離れて過ごしている子どもたちに、一時的に家庭体験をしてもらうボランティアの取り組みです。

先崎:里親という制度はいつ頃から日本に定着したのでしょうか。里親になる方に共通する何かはありますか。

田北:古くは平安時代からと言われたりしていますが、いわゆる子どもの福祉の観点から現在の里親制度へと連なる流れは戦後からですね。里親になる方に見られる共通性は様々な見方があると思いますが…、たとえば、ここ香椎宮は神社ですが、里親になる方に宗教関係の方は少なからずいます。海外では教会が里親普及の拠点になっているケースもあります。

木下:調べてみたところ、孤児院を運営している神社はありませんでした。孤児院発祥のところに神社が関わっているケースや、個人的に引き取るみたいな事例はあったみたいですが。日本における養護施設の役割とはどのようなものですか。

田北:海外は里親家庭等の家庭環境で育つ子どもが多いのですが、日本の場合は、里親よりも児童養護施設や乳児院(以下、施設)で暮らす子どもがとても多いです。その理由のひとつは、戦後、戦災孤児・遺児を養育するために施設がたくさんできたことによります。海外の場合は、戦災孤児・遺児が子ども期を終えるのに応じて、それらの大規模な施設は減っていったのですが、日本の場合は、施設の数はあまり減らずに今に至ります。それは日本の特徴です。そして、戦後直後は「親がいない」子どもが対象だったわけですが、その後「親がいる」家庭の不適切な養育、虐待が発見されていきます。その子どもたちを保護する役割を施設が担っていったことで、施設の数が維持されてきたという経緯もあります。

木下:現在、まさに今おっしゃった「親がいる」家庭の不適切な養育や虐待が社会問題になっていますが、子どもを虐待してしまう親側のケアも必要だと聞いたことがあります。

田北:はい、重要なテーマですね。児童相談所やNPO等で、虐待をしてしまった親をケアしていくプログラムに取り組んでいるところもあります。親自身がつらい子ども時代を過ごしてきたケースも少なくないのでそのケアの面もあるのですが、里親も児童養護施設等の施設も、可能な限り家族に戻すこと(家族再統合)を目指していくので、再統合後、子どもが安心できる家庭環境を再構築していく意味でも重要です。

木下:里親が実親ではない、他人であるという点も重要なのでしょうか。

田北:はい。親の代わりになる場合は、特別養子縁組の制度があるので、里親の特徴のひとつは「親にならない」という言い方もできます。先ほどお話したように、戦後は「親がいない」子どもの親の代わりになるケースが多かったのですが、現在は、親はいるのだけれども、その親に頼れなかったり、親自身もしんどい思いをしていたりするケースが多いです。だから、近年必要とされている里親の役割のひとつは、産みの親(実親)も一緒に支えていくような存在です。里親は、その字面から「親」のイメージが強調されがちなんですが、そうなると、産みの親の存在や家族としてのケアが見逃されがちになったりします。

木下:産みの親も一緒に支えていく。

田北:ええ。実の家族関係っていうのは一度壊れると戻れない。だから、かけがえがないものだというのが、国際的にも共通する基本的な考えです。基本は家族が離れ離れにならないようにどうしたらいいのかを考える。家庭内での虐待なども、どうすれば予防できるのかを考える。家族まるごと支えていくのがいちばん重要です。それが難しければ、一時的に里親等の代替養育に頼るか、あるいは長期的な安定性を目指して特別養子縁組を考えるという流れです。子どもの安全と最善の利益を鑑みつつ、基本は、子どもにとってかけがえのない関係である家族を支えていく、ということですね。

木下:かけがえのないものが実の家族であるという価値があって、そこに戻っていくための方法を考える。いろいろなバリエーションはあるけれど、最終目的は子どものためであると。

田北:ただ、この姿勢は、特に現場レベルではセンシティブな問題として向き合っていく必要があります。実の家族との関係を優先したことで、子どもを保護できずに虐待がエスカレートしてしまった事件も少なくないです。ともかく、子どもの権利と尊厳を真ん中にして、その現実と向き合った上での判断でなければなりません。

先崎:里親という存在が求められている一方、数は増えているのでしょうか。

田北:増えてはいますが、まだまだです。日本はもっと里親を増やしていかなければならない状況です。ただ、施設VS里親のような構図で、家庭養育としての里親を増やさなきゃ、と捉える人も多いのですが、僕はそのようには思っていません。家族で虐待が起こるように、里親家庭も虐待のリスクは大きいわけなので。そして、施設が蓄積してきた専門性はとても貴重な社会資源です。その上で、実家族と暮らせなくても家庭環境で過ごせる選択肢を子どもに用意してあげなくちゃいけない。福岡市は里親の数がずいぶん増えてきましたが、それでもまだ子どもたちに相応しい家庭環境を提供できていません。全国的に見れば、なおさらです。そして、実数としての里親も必要ですが、先ほどから触れているように実親を支えるためにも里親が必要なんですね。あくまでも第三者として、家族のサポーターとしての里親。そういう視点がもっとフォーカスされたらと思います。

木下:親子の間でトラブルがあった時に、里親が預かる場合もあれば施設に入る場合もあるということですね。しかし、なぜ人は虐待してしまうのか。なぜ傷つけるのでしょう。

田北:虐待の原因は一概に何とも言えません。虐待をしたくないのに子どもとの関係の中で思わず手を挙げてしまい、後悔を繰り返す親も大勢いますし、子どもとの関係だけでなく、夫婦関係も影響します。

先崎:里親が足りないので施設を増やすべきだという考えもあるのでしょうか。

田北:少子化で子どもが減る中で、これから施設が増えることはないでしょう。虐待に関する相談対応件数が増えているということが話題にもなりますが、相談対応をしたその件数の90%以上の子どもたちは何度かの相談を経てそのまま、あるいは一時保護を経て家に戻っています。つまり、施設で暮らす子どもというよりも、家で暮らす子どもを支える社会資源が必要と捉えることができます。里親の数を増やしていくという選択肢はあっても、新たに施設を作るという選択肢は、考えにくいです。特に乳幼児の場合が顕著で、家族と暮らすことができない子どものうち、3歳くらいまでは乳児院、それ以降は児童養護施設に預けられるんですが、乳幼児の場合は特に里親家庭が養育する流れになっています。たとえば福岡市の場合、乳幼児はほぼ里親委託になっていて、その中で乳児院は専門性を活かしながら一時的に子どもをサポートしたり、養子縁組家庭や子どもだけでなく親子を丸ごと支えたりと、多機能化しています。