3 他者の関わり合いから
家族を再定義する

木下:家族以外の他者によって、家族をサポートしていく。そういう社会になっているんだと痛感します。香椎宮は家族、夫婦の神様でもあるわけですが、田北先生にとって夫婦というのはどのようなものでしょうか。

田北:血のつながらない他者が暮らしを営んでいく、その象徴的な存在が夫婦ですよね。そういう意味で、香椎宮の取り組みには通じるところがあると思っています。里親や養子縁組の話題になると、血のつながりの有無がよく話題になったりするのですが、そもそも夫婦関係に血縁関係はない。その事実に立ち返ることはとても大切だと思っています。子育てや家族関係の中で苦しんでいる人たちを社会で支えていく眼差しも、香椎宮との共通のテーマがあると思っています。

木下:社会で支えていくということ。社会で暮らす人々のこころが当たり前のものとしていくことを、神社が支えていく。それが神社の役割かなと思いました。神社が今起こっている社会課題に何をプレゼンできるかというのではなく、何かをプレゼンできるように神社が大きくなっていくっていう。神社が変わっていくためにも、先生たちの取り組みと関わっていきたいと思っています。そうした中で僕自身の考えが新しくなったり、気づきを得たり。そこから新しい祈りが生まれるかもしれません。

田北:今の時代は、昔に比べて世帯人員は少なくなっているし、共働きで忙しくて時間が無い中子育てや介護をしているし…、家族でしんどい問題が生じやすくなっているにも関わらず、家族や夫婦で責任を背負い込まなくてはいけない構造になっているんですね。僕はまちづくりという切り口から、その関係性を開いていきたい。家族だけで家族の困難を抱え込まず、それを支える誰かがいる、そういうコミュニティづくりが大事だと思っています。家族をまちに開いていくのがまちづくり。神社という存在は、空間に限らない家族以上の存在と多様なコミュニティとしての広がりを持っていますから、神社も家族という存在を支えながら、関係をまちに開きながら、その存在を支えていく役割があると思っています。

木下:すごくいいヒントをいただいた気がします。神社が何かを言うとしたら、受け入れたり克服したりしましょうね、ではなくていい。いつも晴れ晴れしていなくてもいいし、あなたの親は実の親じゃないと言ってくる人もいるけれど、気にしなくてもいい、と。そういうオールオッケーな場所として神社があるんだろうなと思いました。いろんな人たちが互いを認め合い助け合う。その広がりが起こりそうな場所としての神社ですね。僕自身もそうだと思います。いろんな人たちが混ざり合い、助け合う場所として開かれていく神社。心は繋がって、来た人の心は開かれていく場所。そこがひとつの着地点かもしれません。

後編に続く▶︎

編集協力/重村直美

田北雅裕さん

九州大学大学院人間環境学研究院専任講師|社会福祉士
1975年 熊本市生まれ。2000年、学生の傍らデザイン活動triviaを開始。以降、まちづくりとデザインを切り口に様々なプロジェクトに携わる。04年に熊本県杖立温泉街に移住、住民の立場からまちづくりを実践。09年より現職。現在は、コミュニケーションデザイン/サービスデザインの観点から、主に子ども家庭福祉の課題を乗り越えていくための実践・研究に取り組んでいる。芸術工学修士(九州芸術工科大学)。