対談|2021.11.23 「人間共生システム・九州大学 飯嶋秀治 × Eカシヒノミヤ 「共」と「生」を考える」-後編-

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4 連累する生

# テッサ・モリス=スズキ 「連累」

「個人は、今生きている土地で過去に起きたことの責任があるなしや?」

「食べ物や、歴史の積み重ねが自分を作っている、連累関係はある」(主体の積み重ねで自分が存在している)

個人もすべての歴史と
連累関係である。

木下:先ほど、神社との関係を「永続的」に思う人と、「一過性」だと思う人の話をしましたが、最近その板挟みに合うことがあって(笑)。代々同じ土地に住む家の人は、「困った時はお互い様」だと長いスパンで考えがちですが、新しく引っ越してきた人にとってはそうではないから「お互い様」と言われても困る。どちらの話もその立場に立てばよく分かるので、どちらにも寄り添えず何も言えませんでした。シーシェパードの一件もどこか似てますね。代々その土地に住んでいる人からしたら伝統や歴史の話ですが、そうでない人には生き物を殺し食べる責任と罪のほうが頭に浮かぶ。どちらもその立場に立てばそう思うだろうということは分かるんですが、そういった、ある営みの背景との距離感の違いって、抜き差しならないアイデンティティーに関わっていたりするので、人間関係の問題のポイントになりがちな気がします。

飯嶋:相異なる立場から何を共有できるか、という問題かもしれませんね。連想されるのが、イギリス出身の研究者のテッサ・モリス=スズキ(※1)が提唱した、「連累」という概念です。これは「責任」未満の概念ともいえますし、それだけに人間と環境とのより基本的な関係を概念化したものとも言えます。
彼女はオーストラリアに移住して日本の歴史の研究をしているのですが、アボリジニとの関係の歴史についても言及していて、「ある個人が、今生きているこの土地で過去に起きたことに対して責任があるなしや?」という問いに対して、「これまで過去に生じてきた歴史の積み重ねが今ここにいる自分を作っている。現在の法律では個人が意識的にやったことを中心に責任関係を問うが、そうした個人が成立する前に過去の歴史によって今の自分が成立しているという連累関係はある」と返しているんですね。
よく災いが生じるとその災いを引き起こした個人の責任が問われるけれど、そうした個人が成立する以前にも、我々はすでに様々な過去の主体の積み重ねによってここに存在している、ということですね。

木下:連累関係、うん、環境問題などもそうかもしれませんね。環境問題って人間が環境を破壊するものを生産しているという考え方だと思うんですが、人間も自然の一部だとしたら、人間が起こすことも自然の一部なのではとも考えられる。そして、人間の営みで環境が破壊されたとしても、それは自然環境の中のことだとも言い換えられます。極端な話、マイクロプラスチックも自然の一部だとなってしまう。

飯嶋:折り合いをつけるのが難しいですね。僕は博多リバレイン(※2)の横を流れる川の遊歩道がとても好きなんですよ。増水すると遊歩道が水に沈むから。一応は人工のものとして作られているけれど、環境の具合によっては使えなくなる、そういうデザインの方が異なったものと共生している感じが可視化されていてものすごく好きなんですね。

木下:自然を可視化しているとも言えますよね。

飯嶋:あと、コロナ禍でオンライン授業もするのですが、学生たちと通信が切れて、オフラインになったときの方がオンラインを感じたりします。

木下:私は逆で、オンラインの時の方が冷静でいられます。こうして対面で話をする方が俯瞰視できないかもしれません。

飯嶋:それもありますね。ただそうやって対立すると会って話しましょうって流れになりますが。

木下:メール初期の頃はしょっちゅうトラブルが起きていましたよね。言い回しの受け取り方とか、背後に色んなものを見てしまって。私なんて当時は1通のメールを打つのに1時間くらいかけてましたから。

先崎:オフラインで満足できないから、オンラインを求めてる(SNS)わけで。一所懸命生きていたらそもそもSNSいらないんじゃないかと思う節もあります。SNSは自己肯定感の発散の場所なのかもしれませんね。

飯嶋:フェイスブックは知り合いばかりで息がつまる。ツイッターは知らない人ばかりで息がつまる。営業や業績の発表などでSNSでも色々書いたりしますが、そう感じることもあります。

木下:役割があるなしも関係するのでは。私は最近、「かっこいいか」「かっこ悪いか」で考えて発信しています。そうしないとSNSに書いている自分がいやになってくる。

飯嶋:そうですね。だったらツイッターの複数アカウントは不健康に繋がるんじゃないかな。そういう社会ってどうなんだろうと思いますね。
オンラインだけで自足している感じになると、他者は多分いらない。むしろネット環境がリアルの影響を受けてダメになった方が、世界と繋がっている気がする。(ネット上で)オフラインの方が(リアルな世界との)オンラインを実感する感覚があるというのはそういう意味です。
リバーウォークに限らず、河川工事は増水や洪水を想定しているはずです。不具合が起きて初めて実感する生(オフライン)があり、本来の機能を果たさなくなることを見越したデザイン(リバーウォーク)もある。そうして波風立った時に今までがフィクションだって分かる、初めて「生」を実感するというね。

法律と食
何が「主」であるか。

飯嶋:たとえば、何かを食べるにしても、我々は自分が「主」という意識でいますよね。人間が「主」だという意識は法律の世界の話で、意識的にやったことに対して責任を取るということ。理性で体をコントロールしていると考えているわけですから、心神耗弱で理性的にやってないことには責任を問われない。

木下:責任はないが、先ほど話題にあがった「連累」であるということですね。

飯嶋:ええ。でも通常はみんなそうやって主体的に身体やスケジュールをコントロールしてると思い込んでいるでしょう。でも病気になったり、体を動かせなくなった時に突然気がつく。全然自分の思い通りにならない、自分って「主」じゃないんだと。今まで自分が見てたのはフィクションだと悟る時がある。それってオンラインとオフラインの話とパラレルなんじゃないでしょうか。

木下:病気になった時に気づく「あ、この次元の方がリアルなんだ」と。そうすると、自分で主体的に生きてるんじゃなくて、生かされてるんだなって自然に思う…って、いきなりその大きな視座まで行けたらいいですけれどね。

飯嶋:日本の法律でも成人になるまでは大きな責任を問われない。これは理性が育ってないから、という理由です。でも成人になるまでに既にみんな生きてきているじゃなですか。成人になってからいきなり理性で司られてるというのがすでにフィクションですよね。
オンラインとオフラインもフィクション。ネットの世界でワーッと熱中したあとにハッと気づく。鏡に映った自分を見て「これが俺なんだー」と本来の自分に気づく。うまく行っていたものがうまく行かなかったりして本来の自分に気づく。生かされてる、まで悟られたらいいけれど、そうしたリアルを見ないようにしていたい、という思いもあるはずです。

木下:最近は、あの世はある、葬式もしてほしいと考える若者が増加しているそうです。デジタルの世界が死生観とか深いあたりにもリンクしているのでしょうか。社会に希望が持てないので、利他的にならざるを得ないのかなとか、永遠に変わらない世界を生きている感覚に実感を得たいのかなとか。名声や富とは違うものに価値を置いている気もしています。信仰心の自覚はないがお参りなどはするということがこれまでの日本人観のベースだったけど、それは変わってきているかもしれません。

オンラインの炎上とオフラインのリアル

飯嶋:メディアでの表象は、全員が全員、百分の百のスケールでは描けないし、受け取れないのが人間。そこでは、どこかで編集する活動をしている。メディアで取り上げられるというのはどうしても、分母を切り捨てる作業になってしまいます。その情報がどういうコンテクストからきてるのか分からないという危うさがあります。

木下:オンラインといえば、飯嶋先生はコロナ禍に、あいちトリエンナーレ(※3)の芸術監督である津田大介(※4)さんのオンライン講演に参加したそうですね。

飯嶋:ええ。あいちトリエンナーレで発表した「表現の不自由展(※5)」が、なぜ炎上したのかという話も聴きました。「平和の少女像(※6)」にしたって、元々の文脈は単に慰安婦への批判として取り上げられましたが、それだけではなくて、たとえば、少女に影ができるとおばあさんに見えるようになっていたり、未来を象徴するかのような雀がいたり……今まで慰安婦について語れなかった韓国情勢についての思いも込められているとのことでした。

木下:そこまで詳しく報道した番組は少なかったし、知らない日本人も多いと思います。

飯嶋:はい。それなのに、そういった作品の一部だけがSNSに切り取られて、彼らの文脈でネットに流されて炎上した。それが表現の不自由展だったと。作品の文脈は複雑で色んな面があったのに、その一部だけを取り上げられて、SNSで拡散された。この件からも、やっぱりオフラインの方がリアルだと思いましたね。それをオンラインで知ったので、オンラインとオフラインという話ではなくなりますが(笑)。

※1 テッサ・モリス=スズキ2002『批判的想像力のために』平凡社、参照。モリス=スズキはこの議論の後に、その連累関係を踏まえて過去の不当さに応答してゆくのだ、と書いている。

※2 1993年博多に開業した複合商業ビル。足元を流れる那珂川に沿ってリバー・ウォーク(遊歩道)が敷かれているが、増水時には水没する。

※3 愛知県で2010年から3年ごとに開催されている国際芸術祭。あいちトリエンナーレ実行委員会主催。ここでは2019年開催のものを指す。

※4 津田大介(1973-)は日本のジャーナリスト、メディア・アクティビスト。大阪経済大学情報社会学部客員教授。

※5 あいちトリエンナーレ2019で開催された展覧会の一部だが、その展示内容を巡り反対運動が生じ、社会的な議論の的となった。

※6 キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻が2011年に初制作したモニュメント。その後、あいちトリエンナーレ2019の表現の不自由展にも展示されたが、このモニュメントを含めた「表現の不自由展」全体が「反日的」という理由で反対された。その過程で生じた開催反対署名がのちにアルバイトによる偽筆と分かり社会問題となった。