対談|2023.09.07 「九州大学大学院人間環境学研究院専任講師|社会福祉士 田北雅裕 × Eカシヒノミヤ 家族をめぐる対話」-後編-

◀︎ 前回の記事はこちら

4 他者との関係の中で醸成される愛着

木下:田北先生がなさっている取り組みを伺って、なぜそういう制度や取り組みが必要なんだろうかと自分なりに考えてみました。今の社会で何が起きているのか。何が理想であり、なぜ里親や養子縁組が必要なのか。幸せな家族とは何なのかを考えてみたいのです。そこでまず、幸せとは何かという僕の仮説を話してもいいでしょうか。うちの息子が通っている幼稚園の園長先生が、子育てで大事なのは自己肯定感を養わせること、ありのまま自分のことを好きになれる力を養わせることだと話してくれたことがありました。そのためにはしたいことを十分にさせて、愛して、信じて、認めることが大事だと。

田北:はい。

木下:そうやって愛情を注がれた子どもはありのままの自分を好きになり、自己肯定感のある子どもとして育つ。そうしなければ自傷……自分を傷つけ、破壊することで自己肯定感の無さを解消しようとするような態度をとったり、あるいは、他傷……他人に暴力をふるったり虐待したりひどいことをいったりすることで、自分の中のずれを解消しようとするかもしれない、というような話です。となると、自己肯定感がない人の中のずれというのは、社会の「こうあるべき」というものを自分に強いる中で生じる、どうしても整理できない部分なのではないでしょうか。一般の理想的なイメージみたいなものを気にして自分で自分にプレッシャーをかけた結果、自己肯定力がそこに抗いきれずにぎくしゃくしてしまい、ありのままの自分を好きになりきれない。つまり、幸せな家族や夫婦を語る前に、まずは個人1人ひとりが自分のことを好きになれる力を持っていることが大事で、自分を好きでいられる力というのが、幸せの第一歩じゃないかと思ったんですね。

田北:なるほど。僕としては、今おっしゃった自己肯定感は2歩目、3歩目の話かなというイメージです。そもそも自己肯定感が育まれる状況というのは、親密な他者との関係があってこそ。たとえば、セキュア・ベース(安全基地)という概念があるんですが、なぜ自分が遠くへ行けるのかというと、今自分がいる場所が安心できるから。戻れる場所、いざとなったら帰れる安心できる場所があるからと言われているんですね。ここが安心安全だからこそ、チャレンジできる。あと、他者との関係の中で愛着が醸成されていくと、ある種自分の中に内在化していく気持ちのようなものがあって、離れていても大丈夫だと感じられる。これは、その人から独立してるわけではなくて、その人の働きかけが自分の中に内在化しているから離れられるし、自分を信じて行動できる。だから自己肯定感、自分自身で行動していくその前提には、まず他者との関係があるというのが僕の考えです。

木下:わかります。鶏が先か卵が先か、になりそうですね。愛着関係とは他者との関係ととらえてよいですか。

田北:そうですね。たとえば、幼少期にその子にとってふさわしい愛着関係が結べないまま成長すると、大人になった時の他者との関係においても難しい局面が出てきたりする。そういうリスクがある子どもたちに対して、里親という存在を通して他者との親密な関係、信じられる関係を育める場を提供するというのが、今、僕がやっていることのひとつという言い方もできます。
まあ、そもそもそういうことを前提としなくても、たとえば小さい時に親を亡くした子には親代わりの頼れる人は必要だし、自己肯定感とか愛着とか関係なく、子どもは1人では生きていけないわけで、そういう意味でも里親は必要な存在だと考えています。家族に頼る人がいない子どもには、他に頼る誰かが必要、が基本。